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恋するお茶っぱめぐり旅
坪林・文山包種
  1. 坪林までの道
  2. 坪林茶業博物館
  3. 何気ない風景
  1. 序章
  2. 萎凋〜揺青
  3. 茶畑にて
  4. 殺青〜玉解
  5. 乾燥
坪林茶業博物館
坪林茶業博物館
これはプーアル茶を固めるための型です。
坪林茶業博物館
昔の茶館の様子がそのまま表現されています。今にも動き出しそう。
陸羽先生
茶神・陸羽先生が中国茶のバイブルと言われる「茶経」を執筆している様子。でも、よく見ると筆が床に・・・もしかして、居眠り??
 
台北市内から1時間。やっと目的の文山包種の故郷・坪林に到着。目の前に中国茶葉博物館がそびえている。果たして中には何が隠されているのか?

坪林茶業博物館

中に入る前に、「坪林」について少しお話しましょう。
「坪林」この名前は、この土地の地形から付けられたそうです。
「坪」は盆地、「林」は森林。木が生い茂った山間の盆地という意味。
明朝時代、中国福建省から移民してきた人々によって開発されてきました。福建省といえば、台湾とちょうど海を隔てた所にあり、たくさんの人々がそこから渡って来た。現在台湾では国語と呼ばれる北京語、台湾語、客家語などが使われているが、 この台湾語と福建語は似ているという。

また福建省は鉄観音の産地安渓や、岩茶の産地である武夷山がある中国茶でも有名な省であり、そこから来た人たちによって中国茶の技術もこの坪林に持ち込まれたに違いありません。
もちろん、この坪林の環境が茶葉の栽培に適していたからでしょう。現在、坪林縣の人口の90%以上の人が何らかの形でお茶作りに関わりを持っているといいます。

と、ちょっと前置きが長くなってしまったかな。話を元に戻して、

入場料100元を払って中へ。博物館は「総合展示館」、「活動主題館」(イベント・テーマ館)、「多媒体放映室」(3Dマルチメディア放映室)、商品展示区(売店)、茶芸館などに分かれている。

博物館の中心となる「総合展示館」は1階と地下の2階層に展示され、各階22の項目があります。

一階には茶の分類、各時代ごとの製造方法、そして地下の階は茶芸についての展示になっており、さまざまな茶壷、茶壷のお手入れに方法ついて、等が写真パネル、実物、また人形などを使いわかりやすく説明されている。中国茶についての全てがここで勉強できるようになっています。

その中で、私が興味を持ったものについて少しお話しましょう。まずは台湾茶の歴史。
台湾におけるお茶産業は期限は清朝中期(1796〜1820)に福建省安渓からの移民たちがお茶の種を持ち込み、台湾北部で育てたのが始まりです。
最初はお茶を製造する技術がなく、摘んだ茶葉を中国大陸へそのまま輸出し、中国で加工していました。
台湾茶が飛躍的発展をとげるきっかけとなったのは1865年英国商人ジョン・ドットの来台です。彼は台湾茶業の父と呼ばれる李春生と協力し、淡水の農民たちに茶作りを教えました。1866年安渓から茶木を輸入、農民に茶畑を貸し、茶葉を作りアモイで加工し、マカオへと輸出したのです。このお茶が良い評価を受けたのを機に、1868年には台北に製茶工場を設立。翌年には42万キロものお茶をニューヨークへ輸出。フォルモサ・ティーの名で世界へと広がっていったのです。

ではこの坪林で栽培されている文山包種茶の歴史はどうでしょう。
1872年、今までの台湾茶の売れ行きが悪くなり、再び中国は福州(福建省)に茶葉を運び製茶したのが始まりです。そのころ福建省では持ち運びやすいよう茶葉を紙で包んで いました。それで「包種茶」と呼ばれていました。その後、1881年、福建省の商人が包種茶専門の工場を台北に建て台湾を代表するお茶となりました。その包種茶の中でこの坪林一帯の文山地区で作られるお茶を地名を取り、「文山包種」と呼びます。発酵度は15度程度と低く、緑茶に近い味わいです。

一通り見て、少し疲れたら、またお茶について学んだ後で本場の中国茶が飲みたくなったら、ゆっくりとお茶が飲める茶館もあります。また、お土産を売る売店も。茶葉を使ったお菓子や、坪林の絵葉書など。中でも、恐らくここでしか買えないと思われる「坪林茶業博物館」の本は台湾茶に興味のある方にはおすすめです。(ちょっと重いですけど。ちなみにお値段は500元)
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