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「私台湾に住んでたんだ」と言うと「へぇーそーなんだ」で終わってしまうのに、
「私台湾に住んでてね、日本人学校のスクールバスのバス停が金城武と同じだったんだ!」
と言う と皆入れ食い状態で私の話に食らいついてくる。
「えぇーーーーー! 金城武と? カッコよかった? 背高かった? サインもらった?」
オイオイ、私と彼の年齢差は、6歳だよ。(おぉ自ら年齢をバラすこたぁないのに)
金城武と最後にバス停を共にした日(きゃー何だか意味深?)私15歳、彼9歳・・・。9歳っていったら 小学校三年生なわけで・・・当時年下にまったく興味のなかった(興味がある方が怖いけど)カッコ
イイも背が高いも、サインもらったも、ないわけですよーーー。
ただ彼に対してどうしてそんなに印象があったのかといえば、異国でのアットホームな雰囲気、まぁ要するに田舎の分校って感じ、全校生徒知らない子はいないという小さな世界だったから。それから、よくそのバス停に彼と彼のお兄さんを送りに来るママが
背が高くてスタイルが良くって、メチャメチャ綺麗で、彼のママが台湾の人だったこともあって 子供心に
「あぁ楊貴妃ってこんな美人だったんだろうな・・・」と思っていたから。
金城武はお兄ちゃんといつもお揃いの服を着てた。小奇麗な男の子って印象だった。
その後、私が大学生の時。今から数年、いえ十数年前。当時私は親元離れkaoと2人日本に住んでた。まだ台湾駐在中だった母がある日電話してきて妙に興奮してこう言った。
「ねぇ、yuka、あなた、金城武覚えてる? あの彼がね、今台湾で大人気なのよ! 日本でいう光ゲンジみたいなんだから!」
私は母の言葉を聞いて、金城武が光ゲンジのようにアイドルグループの一員となって活躍しているのかと思ったが、母の話を聞いていくうちに、どうも母は「金城武がジャニーズばりのアイドルとなって、女の子たちからキャーキャー言われてる!」と言いたかったらしい。
「ふぅん」母の興奮とは対照的に私はかなり冷めていた。だって、私の中での金城武ったら、前にも書いたけど、9歳の男の子のイメージしかなく、彼が女の子たちにどんなにチヤホヤされているとは言っても、私の興味の範疇ではないって感じ、あんなガキ興味ないわって、私はダーリン・久保田利伸に入れ込んでいた。(年がバレるよ〜)
ところがである。母の話が風化した数年後、アジアのスターという雑誌の特集、表紙を飾っていた俳優に私は目が釘付けになった。
「かっこいい! 誰? この人!」表紙にデカデカと書かれた名前を見て、驚愕した。
そう、そこには「恋する惑星、今彼に夢中。金城武」みたいな文字が書かれていたのだ!
えええええええええ! これが私がバス停で毎日顔を合わせていたあの金城武なのか!
just my type という言葉がぴったりのステキな男に成長したのね・・・(涙)←何で泣くよ?
気が付いたら歌っていた。サザンの「yaya・・・あの時代を忘れない」。
♪帰らぬ思い出 time goes by〜♪でもって
♪戻れるなら in my life again♪ だわ!あのバス停での日々。毎日がチャンスであったではないか!
もう一度やり直せるなら、まずは私、ダイエットから始めよう。私は太っていた。それもかなりのデブ! いや、正直に言おう! ブタだった。増井ゆかりデブ黄金時代を築き上げていたといっても過言ではない。それに今は重力に逆らわない体質に(残念ながら)なってしまったが、当時私は15歳、重力に逆らう力を充分持ち合わせていた。言うなればパツンパツン。それは「まりも羊羹」のように突付いたら、パチンといってはちきれるだろう体躯。見るからにおデブだったのだ。
現在の体重は大学時代からさほど変わっていないだが、中3まで在籍した台北日本人学校の同級生に会うと、今でも彼らが必ず口にする言葉。
「加藤(旧姓)痩せたよな・・・」
おいおい、去年会ったときも、その前に会った時も私は(多少年は重ねてはいるものの)今と同じスタイルだよ! 多分、彼らには南国の台湾で見ていたデブな私のインパクトが非常に強くて、何年経った今でもその記憶を抹消できないんだと思う。そう、今の榊原郁恵は決して太っていない。むしろ痩せてると思うけど、でも、榊原郁恵というと皆が「ぽっちゃり」とイメージしてしまうそれである。
多分、金城武の記憶にも私の名前さえもう忘れ去られていたとしても、「あぁ同じバス停に・・・いたいた! デブな上級生が」とインプットされているに違いない。この記憶ゴミ箱行き! 痩せた15歳で再出発するんじゃ!
それから、数年後の超カッチョイイ彼を意識して、私は6歳年の離れた彼に必要以上に優しくするのだ。
当時「金城、バス来たよ」と呼び捨てでぶっきらぼうに話しかけてたそれも「武くぅーーん♪ バスが来たわよ〜ん♪」と猫撫で声で言うことにしよう。そして、当時貴重だった日本製のお菓子も毎日山のようにプレゼントしようではないか。彼の美人なママにも愛想の良い、こんなお嫁さんを是非うちの息子にと思ってもらえるくらい気配りをするんだ。母から落とすのも手よねヒヒヒッ。
そしたら、きっと違う人生がやってきたはず。(おいおい、人生ってそんなに単純なものか?)テレビのご対面番組で、ゲストの金城武が会いたいあの人は?
「はい、台北日本人学校で当時同じバス停だった・・・えぇ、僕よりだいぶ上級生だったと思うんですけど・・・ね、子供心に憧れていたんですよ。今思えばあれが僕の初恋だったんでしょうね・・・」
なんて言われ、私は「オープン ザ カーテン」の掛け声とともにシルエットからスポットライトを浴び登場するのだ。(涙)←何で泣くよ?
話を最初に戻そう。台北日本人学校での数々の思い出。その中の1つに前述のお茶のみ場がある。
台湾は水道水が飲めない。だから、水のみ場みたいなコーナーが野外にあって、そこには蒸留水とお茶が置かれていた。アルミのお椀のようなコップ? があって、蒸留水なりお茶をそれに入れて飲むのだ。蒸留水もお茶もなくなると現地の用務係のおばちゃん、おじさんが代えてくれる。
子供たちにはやはりお茶が大人気だった。
蒸留水よりお茶の減りの方が断然速かったように思う。おばさんたちは朝から晩? までお茶を大きな鍋で煮出す作業を汗だくでしていたような気がする。学校で出すお茶だから、low costだったのだろう。同じお茶っぱを煮出し、天日で干し(干すと何かいいことあるのか?)、煮出し、干すを繰り返していた。終いには多少色の付いた水のようなお茶になっていた。それでも私たち生徒はそのお茶を好んで飲んでいたのだ。
お茶っぱ.comのmy oo〜はその台北日本人学校のお茶なんて比べものにならないくらい美味しい! が、それを12,5回お湯を足して飲んだ時(「おいおいケチるなよーーー」「てやんでぇ、忙しかったんでぇい」)おや? この味は・・・。そう台北日本人学校のあのお茶。薄暗くって、でも、いっつも生徒でごったがえしていた学校のお茶のみ場が脳裏に浮かんできたのだ。懐かしかった。
それにしてもだ! 今日の金城武を知っていれば、彼が使ったお椀、こっそり盗んでおくんだったのに。(涙)←また泣くか?
金城武も飲んでいた(かもしれない)my oo〜烏龍茶、あなたも是非ご賞味下さい。台北日本人学校ティストにしたい方は注ぎ湯12,5回がポイントです。それからさらに極めたい方はアルミのお椀もね。
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