お茶と中国茶葉専門 お茶っぱロゴ 2004年7月1日更新
お茶と中国茶葉専門 お茶っぱ.com トップページへお茶と中国茶 全商品の一覧お茶と中国茶葉専門 お茶っぱ.com お支払い、配送についてお茶と中国茶葉専門茶っぱ.com サイトマップ中国茶についての知識挨拶、プロフィール、エッセイ
 
渇茶的時間 一緒にお茶を

世界三大美女、クレオパトラに小野小町に増井ゆかり・・・すいません、ホンの冗談のつもりでした。
PC画面はそのままにどうか×押さないでね。
そう、楊貴妃ですね。台湾の土産物にも美しい楊貴妃の人形やら掛け軸が必ず置いてあります。
その姿はまるで天女のように可憐で、妖艶で美しい。
この夏、私は楊貴妃を目標に美しさの切符を手に入れるべく、頑張ろう! 
でもさ、そんな楊貴妃って一体どんな人だったの? 
世界三大美女の1人で、ライチっをこよなく愛したということは知ってるけど、
その以外のことって全然知らないじゃないのよ。
それでは、私、今から楊貴妃を知るべく、中国は唐の時代に行ってくるか。
楊貴妃に会って、実際その美しさを間近で見て、いろいろ参考にしてこよう!

時は中国の唐の時代。日本では奈良時代。
唐の玄宗皇帝の719年、玉のように美しい女の子が生まれ、楊玉環と名づけられた。その女の子が後世、世界三大美女にも名を残す楊貴妃である。

楊貴妃についての生い立ちはいろいろな説があるけど、ほら美人には数々の伝説というものが飛び交うものでしょ? かく言う私も、富士山の麓に菊の御紋のおむつをはかされ、捨てられていたという伝説を持っている。(自分で作ったんだろうが!)父は蜀州(今の四川省崇慶県)の司戸(戸口、籍帳、婚嫁、田宅、道路などのことを扱う民生官)という役職にあった楊玄エンと言われている。しかし、楊貴妃が成人する前に父も生母も亡くなってしまい、楊貴妃は幼くして孤独だった。両親の死後、叔父の楊玄キョウに引き取られるとこになる。さて、735年12月、楊貴妃は玄宗皇帝に見初められ、宮中に入る。楊貴妃22歳の時だった。

「でも、なぜ一地方官の娘に過ぎなかった楊貴妃が妃に?」

と皆さんも思われるでしょ? 正直私も思いました。そこで、女官に変身した私は宮中に潜り込み、その謎を探ってみることにしました。場所は宮中の女官休憩場所である。午前のお勤めを終え、女たちが、お茶を飲んでいる。私も何食わぬ顔でお茶を頂きながら、隣にいた女官に聞いてみた。
「ねぇねぇ、姐さま」
「おや? 見かけない顔だね。それにしてもその化粧はなに? そんな色のお白粉は宮中で支給されたるものではないでしょ! 玄宗皇帝に見つからないうちに早く化粧部屋に行って直しておき!」
「化粧部屋?」
「新人かい? 仕方ないね、さぁ私に付いておいで」
私は姐さんについて化粧部屋に行った。姐さんは私の顔にこれでもか! というくらいに白粉を叩き、私は粉で窒息する思いがした。
「姐さん、こんなにお粉を叩いて大丈夫なんですか? だって、ここには皇后、貴妃、三婦人、九ヒン、27世婦、81御妻、それに仕える女官、またそれに仕える私たちのような女官がいて・・・洛陽にも都があるんでしょ? 両方の後宮の女性を合わせるとその総数は4万人って聞いたけど、皆が皆こんなにお粉を叩いていたら、一体白粉代だってすごいことになるんじゃないの?」
「あぁそうよ。でも、私たち女官が美しくあることが玄宗皇帝の望むところでいらっしゃるんだから・・・。釣った魚に餌をやらないなんて男が多い中、私たちがこうして綺麗でいられるのもすべて玄宗皇帝のお陰なのよ」
なるほど。のちの明万歴年間(1573年〜1620年)によると、宮中で使われた白粉代は実に今のお金で20億円も掛かったというからすごい! 

「薄化粧で構いませんので、お粉代は現金でお手当てとして・・・」と私なら頼みたくなる金額だ。
姐さんは続けた。
「でも、私たちがどんなに綺麗にお化粧したとしても、あの女・・・あっ、楊貴妃さまには敵わないのよ・・・」
「あっ楊貴妃さまですね。姐さん、私前から聞きたかったんですけど、どうして一地方官の娘に過ぎなかった楊貴妃様が貴妃の座に君臨するまでになったのかが不思議で・・・・」
「そんなこたぁ簡単でしょ? それはただただ楊貴妃が綺麗だったじゃない! 綺麗な女は超玉の輿だって夢じゃないってこと。あんたも花鳥使にスカウトされてここに来たんじゃないのかい?」
花鳥使? 」
「あんた花鳥使も知らないのかい? やっぱりね、花鳥使にスタウトされたにゃ不細工だと思ったよ。花鳥使は国中から後宮に入るべき美女を探すスカウトマンだよ。玉環はその御めがねに掛かったというわけさ。楊貴妃が来てからというもの花鳥使の活動も立ち消えになってしまってね、宮中に入ってくる女もいなくなったよ。あんたが久々の新人・・・えっ? でも、じゃあんたどうやって来たというわけ?」
「あぁ・・・・それは・・・・。あの姐さん、楊貴妃が花鳥使にスタウトされて宮中に入ってきたのはわかったけど、玄宗皇帝と楊貴妃ったら、年齢だいぶ離れていると思うんだけど」
「そうだよ。玄宗皇帝が56歳、楊貴妃22歳、その年齢差実に34歳さ。そりゃ男はさ、若くて綺麗な女性が好きよ。でも、息子の嫁に手を出すなんて・・・・
「えっ? 」
「なに、あんた何もわかっちゃいないんだね。玄宗皇帝は始め楊貴妃を息子・第十八王子の寿王 の女官(王妃)として宮中に入れたんだよ。なのに自分がとってしまったって訳よ。トンビに油揚げをさらわれたもんだよ」

それにしても! まったく男ってやつは。。。。というか名誉と金を得た男というやつは、どうしてこんなにも美女が好き? 本来男ってそんなものなのかな・・・名誉と金を得たら正直にゴーイング マイ ウェイなんだろうか? 女はね・・・、女は? もし今私が名誉も金も手に入れたら・・・・? 永井大に金城武、ケイン・コスギに、その際タイプじゃなくても違うタイプのヨン様も囲ってドンちゃん騒ぎ? キャーーー(≧▽≦)楽しそう♪ 

「あんた、どうしたんだい? 口角緩んでないかい?」しまった。
「あぁ夜の勤めのことを考えてニヤついてるんじゃないだろうね? 今、すごろくは廃止されたのを知らないのかい?」
「すごろく?」
「まったく、何カマトトぶってるんだろうね、この子は。玄宗皇帝の夜のお相手を決めるすごろくだよ。楽しかったね・・・あの頃は。夜になると女たちがすごろくをやって玄宗皇帝に可愛がられる者をそれで決めてたんだ。私も1回当たりが出てね、楽しい夜を過ごしたよ。でも、今じゃそんなのやったって、意味がないんだ。毎晩楊貴妃が玄宗皇帝を独り占めさ」
姐さんはどこか遠くを見る目でそう言うと「あっいけない。もう休憩時間も終わりだ。午後は楊貴妃さまのお世話をする係りだよ。さぁ急ごう!」

姐さんに付いて雅な部屋に入ると、そこには口ひげを生やし、いかにも女好きですといった感じのおっさんがいた。そして、その横には色白のかなり太った黒髪の女性が寄り添っていた。それが玄宗皇帝とあの世界三大美女の楊貴妃なのか? さっき女官休憩場所で見た女性の多くは化粧がイマドキではないにしろ、スタイルは今日本に連れて行ったら、皆が羨望の眼差しで見るようなスレンダーな体型だったのに、楊貴妃は正反対のブヨンブヨンじゃないの! 私が想像していた世界三大美女の楊貴妃と余りにも違うじゃないの!

「おぉそなたは見ない顔じゃのう」玄宗皇帝が私を見てそう言った。
「はい・・・、新人でございます」

「そなた、貴妃には敵わないが、その豊満な体格、実によいのう」

玄宗皇帝にお褒めの言葉を頂いてしまった。豊頬肥満、樹下美人式の美人、これが唐時代の美人の条件だった。玄宗は享楽主義で官能的快楽を追求したので、理知的な長顔痩形よりも情熱的肉感的な丸顔で太った女を好んだという。玄宗皇帝に誉めらたなんて名誉なことだけど・・・全然嬉しくないんだけど。その楊貴妃だけど、太っているためかなりの暑がりとみえ、汗を額から噴出して、息も苦しそう。しきりに口をモゴモゴ動かしている。後で姐さんに聞いた話によると、玉で作った魚を口に入れ、冷たい唾液を出し、それを飲み込んで暑さをしのぐ、楊貴妃なりの防暑法らしい。
でも、確かに太っているとは言え、髪の毛は真っ黒でキラキラ輝き、肌は真っ白でまるで雪のようだった。
「そなた」楊貴妃に呼ばれた。「は、はい」「暑くてかなわん。私もそなたくらいの小太りになりたいと思っているのじゃが、何かよい方法はござらんか?」

私はそっとポケットから道中慣れない時代で便秘になったりしたら困ると思って隠し持っていた雪茶とプーアル茶を差し出した。

「それをお飲みください。2週間お続けになられたらきっと暑さが和らぎますから・・・あっそれとこれは楊貴妃様の大好物のライチでできたお茶でございます。どうぞこちらもお召し上がりください」楊貴妃はえらく喜んで、私を可愛がって下さり、その晩酒宴に招いてくれた。

長安の春、大唐の栄え・・・まさにそんな言葉がぴったりの宴だった。沢山のご馳走、酒に音楽、そして楊貴妃が艶かしくまるで玄宗皇帝を挑発するように踊る舞・・・これなら玄宗皇帝だけじゃなく男ならメロメロになるだろう。私はその体型から「小楊」(小さい楊貴妃)と呼ばれ、玄宗皇帝にも可愛がられるようになった。

 2004年の現世も忘れるくらい楽しい日々を送っていた私だったが、宮中では色々な穏やかならぬ噂が流れていた。安禄山という男が天下を狙っているとか・・・。安禄山という男は私も酒宴で何回か会ったことがあった。父親はソグト人で母は突 族の巫女で、ハーフだったとこもあって、すぐに言葉を覚える才能があったから9種の異民族の会話を操り、人脈を広げていった男。また見ているこっちが恥ずかしくなるようなお世辞をしゃーしゃーと言ってのける人。この間の宴の時も、安禄山の相撲取りのようなお腹を見て、酔っ払った玄宗皇帝が
「その太鼓腹の中には何が入ってる?」と聞くと、真面目な顔で「真心が一杯詰まっているだけです」なんて言ってのけていた。脂肪だろ! と横から口を挟みたくなったけど、それを聞いた玄宗も楊貴妃も目を細めて頷いているんだから・・・。この男のシタタカさったら! ついには子供のいない楊貴妃に頼み、養子にまでしてもっちゃって。いいのか? 玄宗。あなたは純粋すぎるんじゃない? 敵は本能寺にありでしょ? 安禄山は、こうして、外面は愚かで単純なふりしながら、内面はずるがしこく、どんどん地方に支配権を置いて、金と軍力を充実させていってるというのに、玄宗、知らないのは貴方だけよ。大丈夫なの? 玄宗!

もう1人、楊貴妃の縁で出世してた楊国忠という男、この男と安禄山は仲が悪く、お互い玄宗に相手の悪口を流していた。「あいつは天下を狙っているので気をつけたほうがいいですよ」と。でも、蝶よ花よ♪ の楊貴妃との生活にうつつを抜かしていた玄宗は聞く耳を持たなかった。私が「天子様、政治の方は大丈夫なのですか?」と聞いたって、「ハハハ・・・」今日も楊貴妃と遊んでいらっしゃる。

あぁ・・・ついに始まってしまったじゃないの! 楊国忠に命を狙われていると察した安禄山が反乱に出ちゃったじゃないの! 今までしたたかに軍を増やし、軍力を強化していった安禄山の勢力は相当なもので、次々に安禄山は勢力を増して、周りを固めていった。
ここまでくると、どんなに人の良い玄宗だって気がつかないはずはない。でも、気がつくのが遅すぎるんだって! もう、都にはいられないところまで来てたんだから。逃げるしかないじゃないの! 玄宗は楊貴妃や楊国忠、親近の官人を引きつれ楊貴妃の生まれ故郷である蜀の国を目指し、都を出た。多くの妃、公主、親孫たちを置き去りにして・・・。私? 私・小楊は勿論この小太り体型が幸いして玄宗皇帝の一向に加えてもらえた。

逃げるとき楊国忠ったら「天子、この蔵を焼いてしましましょう。賊に獲られるくらいなら焼いてしまった方がましです」

えっ? そんなことするなら、私はここに残るわよ。例え危険が迫っていてもこんな金銀財宝を焼くくらいなら、命を掛けてでも守ります! じゃなかった独り占めします! と言おうと思ったそのとき、玄宗皇帝は言った。「もし賊が攻めてきて、必要な財貨がなければ、必ず万人から徴収するだろう。それより宮中にある財貨をそのままにして、彼らに与えたら、我が赤子というべき人民を苦しめなくて済むのだから!」と。玄宗皇帝、あなたやっぱり良い人だわ。立派だわ。ただのエロジジイと思ってた私を許してー!

その後、私たち一行は蜀へ向かって進んだ。でも、食料もなく・・・疲労も限界に達し・・・ついに兵士たちの怒りは、楊国忠へ向けられるようになった。
「安禄山の目的は楊国忠を誅することであります。朝廷内外でも楊国忠を嫌っている者は沢山います。国家の危急を救うためにも今楊国忠を殺すしか方法はありません!」
兵士たちはこぞって玄宗皇帝にそう言った。
でも、やっぱり優しい玄宗はすぐに楊国忠を殺そうとはしなった。
しかし、兵士たちの怒りは収まらず、とうとう楊国忠を殺し、次いで楊貴妃の姉たちも皆殺してしまった。

「楊国忠は謀反を計りました。この係累である楊貴妃を陛下のそばに置いておくておくべきではないでしょう! どうか恩愛を捨ててご決断を!」
ついには楊貴妃まで殺せと言い出したのだ。もちろん、玄宗は苦しんだ。ぼんやりと遠くを見つめて考えていた。
「人々の怒りは相当なものです。国家の安危は目の前に迫っております! どうかご決断を!」
玄宗皇帝は途方にくれた。
「楊貴妃さまは深宮にいて、楊国忠の謀反を知らなかったのはわかります。楊貴妃様には何の罪もないことを・・・。しかし、考えて下さい。兵士たちは楊国忠のことを殺してしまった以上、陛下の傍らに楊貴妃様がおられたは安心できません。そのことを考えて下さい」
高力士が穏やかな口調でそう玄宗皇帝に言うと、深く頷いたのだった。

楊貴妃の最期は実に立派だった。さめざめと泣いた後、玄宗皇帝に向かって「天子さま、どうぞお達者であられますように、私は国のご恩に背きましたので、死んでもお恨みいたしません・・・・・」玄宗皇帝もこれに応えて「楊貴妃よ、そなたもよきところに生まれ変わるように」と声を掛けた。そして、楊貴妃は高力士に連れられ、仏堂の前の梨の木の下で首を絞められたのだった。そして、兵士は慌しく土を掘り楊貴妃の亡骸をそこに埋めた。

のちに玄宗は楊貴妃のお墓をきちんと作ってあげようと思い、役人たちを馬嵬に派遣した。役人が梨の木の回りを掘っても楊貴妃の亡骸を捜すことができなかった。玄宗皇帝に何と報告しようと途方に暮れていたとき、地元の人からこんな話を聞いた。

「楊貴妃が死んだとき、靴と靴下の片方ずつを残したんだっぺ。それをある者が手に入れて家に帰り、母親に預けたんだと。母親はお茶っぱを売って細々と商売していたんだけどな。確かお茶っぱ・・・なんとかという店だったような・・・。その靴と靴下は何ともいえない香ばしい匂いがしたんだと。何里も離れたところにいる人のところにも届くほどでな、それが評判になってな、人々が群をなして見物にやってきた。でな、その母親ががっちりしててな、見物客から銅銭2枚、見物料を取るようになって・・・。そのうち楊貴妃茶なるものまで売りだしてな・・・美白になるとかいうてローズヒップとハイビスカスのブレンドティーをな・・・。一財産築いておったよ」

役人はこの話を聞いて大いに喜んで早速その茶屋の女将・kaoのところに行った。
「その靴と靴下をどうか譲ってください」
「何をいうてんねん! わてはこれで食ってんねん! 譲られへんわ!」
そこで役人は金銭箱をこれみよがしに差し出すと、kaoは有無もいわずにその金銭箱をひったくると、楊貴妃の靴と靴下を役人に向かって放り投げた。

役人はその靴と靴下を埋め、楊貴妃の墓を作った。
すぐに楊貴妃の墓の土を顔に塗るって洗うと美人になると噂がたちまち広がり、私はリヤカーを借り、その土を大量に持ち出そうとして、捕まってしまった。それ以来、楊貴妃の墓は煉瓦で覆われている。

さて、楊貴妃についてもう1つの伝説がある。
楊貴妃は殺されもせず、逃げたという説だ。亡骸がないことから、彼女は逃してもらった。けれど、もはや中国にはいられないと悟り、側近に守られ、日本人使節の船に乗せてもらい、山口県大津郡油谷町の久津海岸に着いたというのである。確かにここにも楊貴妃の墓が存在する。
しかし、伝説を覆すわけではないが、ここで訂正を加えないと。楊貴妃の墓の土を大量に持ち帰ろうとした私は、役人に捕まりってしまったのだが、役人の隙を見て脱走した。そして、急いで日本の船に飛び乗ったのだった。船に乗るなり、名前を聞かれたので「楊貴妃」なんて応えてしまったのだった。歴史をいじることはご法度とされているが、これもいたしない選択だった。ご勘弁願いたい。

さて、最後にもう1つの伝説・・・。楊貴妃の生まれ変わりは誰だと言われているか知ってますか? 実は山口百恵さんだと言われているんですって。小楊の増井ゆかりじゃないの? あるわけないだろが! 

注釈 プーアル茶 雪茶 ライチ紅茶 ローズヒップハイビスカス
蓮の花のお風呂
楊貴妃墓
楊貴妃像
中国西安郊外にある楊貴妃のお墓の後ろに立つ楊貴妃像。現代に立てられる楊貴妃像はやはり皆細くて美人です。
 

お茶っぱ.comのご意見、ご感想がございましたらぜひ
info@ochappa.com
までお願いします。お待ちしております。

一緒にお茶を最新号へ  このページの上へ
Copyright (c) 2003 お茶と中国茶葉専門 お茶っぱ.com All Rights Reserved