| オリンピック・・・いろいろな競技、選手がいる中、私の注目はなんといっても
レスリングのは浜口京子選手だ。
余談だが、はじめアテネオリンピック女子レスリング代表選手が発表になった時、浜口選手の姿を見て、「何で男も混じっているの?」と何の疑いもなくそう思ってしまいました。逞しいんだもん。でも、よーく拝見すると、ステキな笑顔の似合う可愛いらしい女性でした。すいません。m(__)m
それにしてもいつも彼女の横にいて、浜口選手よりも興奮して、張り切って、目立った存在の父・アニマル浜口。娘が代表に選ばれたことが嬉しくて堪らないといった感じだ。そりゃ嬉しいでしょう! だって父と娘の今までの努力と汗の結晶なんだもんね。そんな父・アニマル浜口の姿を見ていると、私の果たせなかった親孝行を思い出す。あぁあの時、私も父の言うとおりレスリングに進んでいたら・・・アニマル浜口のはしゃいだ姿と父の姿が重なった。
今では「大学で体育会にいたんだよ」と言えば、多分99%の人が「相撲部ですね」と思われるだろう肉体(肉塊)の父だが、実は本人ボクシング部で活躍いていたそうだ。今でも九重部屋の親方のような身体をしながら、将来チャンピオンを夢見るガリガリ青年たちにボクシングを指導している。きっと父に「試合前だ! 減量はちゃんと進んでるか?」なんて言われた選手は心の中で「あんたには言われたくないよ! (ー_ー)」と思っているに違いない。
スポーツ選手は頂点を目指す、父も例には漏れずボクシングの世界チャンピオンを目指した。しかし、父親の大反対に遭い、泣く泣く大学卒業と共にボクシングを辞めた。(まぁ自分の才能にも限界を感じたんだろうけどね( ̄o ̄)d
)
そして、普通に就職して、普通に結婚した。やがて、女の子が生まれた。2年後、また娘を授かった。
長女は生まれながらにして食が細く、すぐに熱を出して扁桃腺を腫らした。ところが、次女は生まれながらにして九重部屋の血筋を引いたか?(血筋なんてないよ!)とにかくよく食べる。授乳期には、母親の乳首を引きちぎるという事件まで起こすほどだった。その食欲は止まることを知らず、幼稚園の年長の時には健康優良児東京都大会に出るほどだった。ゴホン! それが私だ。(自慢することじゃないだろう?)今幼年期の自分の写真を見ると、まず思うこと。「父よ、母よ、よくぞ生かしておいてくれた!(>_<) 」こんな肉の塊のような女の子を虐待もせずに、家の中に閉じ込めることもなく、食事を与えないこともなく、エンゲル係数をひたすら伸ばし続ける子豚のような娘をよくぞ可愛がってくれたものだ。号泣!! 子供の肥満はよくないという風潮の今の時代、どんなに探そうにも私は自分並みの巨漢児にお目にかかったことがない。世界仰天ニュースになら出てくるか?
父はそんな巨漢の娘を見ているうちに昔あきらめた自分の夢に再び火が点いたらしい。
「この子をボクサーいや、女の子だからプロレスラーに育てよう!」そう心に決めた。
それからは、フォアグラ状態。良質なフォアグラを作るため、鴨の口にどんどん餌を流し込むかのように、私は「お腹こわすよ」とか「もうそのへんにしておきなさい」のお咎めもなく、食べたいものは何でも食べ、大いに遊び、運動神経抜群の健康なデブに育てられた。小学校4年生の時、この頃から子供の肥満に対する問題が取り上げられ、学校の肥満児は下田学園というダイエット専門の学校に入れられ、痩せるまで親元離れた寮生活を送らないといけないというプログラムが出来た。「ついに私も年貢の納め時か?」と覚悟を決めたが、私は泣く泣く下田学園に連れて行かれたデブの集団から免れた。先生はその理由を「ゆかりちゃんの場合は筋肉のついた体なので」とおっしゃった。いいぞ、いいぞ! プロレスラーになるには! 父は喜んだ。
ビューティペアー、ミミ萩原、クラッシュギャルズ、極悪軍団・・・・女子プロレス界は全盛期を迎えていた。台湾に移住した後も、違法のレンタルビデオ店に通い、クラッシュギャルズvs極悪軍団の試合や、山崎五紀のジャガー横田の試合のビデオなどを父は頻繁に借りてきては、私に見せた。そして、「いいだろう? カッコいいだろう?」と私への女子プロレス選手作り洗脳作戦を続けた。私も格闘技は大好きだ。ボクシング、プロレス、K1、相撲観戦には大興奮して大いに愉しむ。しかし、身体は大きく(デブと言えって?)かなり圧巻的なスタイルの女の子、傍から見たら、プロレスラー街道まっしぐらというような感じではあったが、そんな私にも夢があった。それは
アイドルスター。(≧▽≦)
思春期、人は得てして自意識過剰になるものでしょ? ブリブリのヒラヒラドレスを着て、ステージに立つことを夢見ていたのだ。キャーーーーー。でもって、今では私の抹殺したい過去のNo.1である、たのきんトリオの野村義男=よっちゃんとの結婚を夢見ていた。私世代でない方には「?」だと思うので、ご説明すると、当時たのきんトリオというジャニーズ人気3人組がいたのですね。田原俊彦、近藤真彦、そして、野村義男。としちゃんは知ってる。マッチも知ってる。でも、よっちゃんは知らないって? わかるわ。当時でもかなり地味なキャラだったもん。今、浜崎あゆみのバックでギターを弾いているので、たまにテレビでその姿を見るチャンスはあります。知ってる? そう、大きな鼻にむさくるしい髪形。今の彼の姿を見るたび、「どうして私は彼を想いあんなに胸を痛めていたのか?」と頭をグルングルン振りたくなる。その過去を知っている家人やkaoなどは、よっちゃんがテレビに出ると「あなたのダーリンが映ってるよ〜」と親切にも教えてくれるのだが、その度に私は意識を失うような軽いめまいを覚えるくらいだ。
高校に入学し、多少客観的に己を見られるようになった私は、芸能界への夢をきっぱりとあきらめた。(やっと目が覚めたのね!)そして、将来の夢はまた大きく「物書き」。(やはり思春期、自意識過剰の成せる技ね)絶対に物書きになって紀ノ国屋書店の店頭でサイン会をするんだ! と夢見ていた。その間も父は「女子プロレスラーはいいぞ」「カッコいいぞ」と私に布教活動を続けていた。
高校3年時、ついに自分の将来を決めようとしたとき、私は迷った。自父の望む女子プロレスラーになるべきかそれとも自分の夢である物書きになるべく普通に大学に行くか・・・・。苦悩した。というのは嘘で、オールナイトフジ、JJ全盛期の時代、私は花の女子大生になることしか頭になかった。酒、タバコ、男の三禁の女子プロレス界にどうして自ら身を置くよ? コンパ、彼氏、朝焼けを見に海へのドライブ・・・華やかな生活が待っているというのにさ。先に女子大生ライフを満喫していたkaoが羨ましくてたまらなかった。あぁ早く私もkaoのようにJJに出てくるような女子大生になりたい!
その時、私は見てしまった。見つけてしまった。本当にそれはある日、私の目の前にガガ〜ンと3D画像のように目に飛ぶ込んできたのだ。
「ジャパン女子プロレスオーデション募集」父が大きく頷き、手招きしている姿が浮かんだ。この団体はかつて女子プロレス界に旋風を巻き起こしたビューティペアのジャッキー佐藤が設立した新団体だった。第一期生を募集するとのことだ。いやよ、女子プロレスなんて。私、根性とかないし、痛いのイヤだし、もしクラッシュのような良いモンになったらフォークとか凶器を使う極悪軍団のブル中野とかダンプ松本と戦う羽目になるし、悪モンになったらファンからキャーキャー言わなくなっちゃうし、とにかく、今が一番人生で楽しい時期、彼氏も作れず、毎日毎日練習に明け暮れるなんて生活、真っ平よ! と思いながらも、日に日に老いていく父を見るとオヨヨヨ・・・・(大袈裟だよ!)
わかった! これも何かの縁。オーデションは受けましょう! 受かるはずないじゃん。花の女子大生になるべく私が女子プロレスのオーデションになんか受かるなんかないわ! 受けて落ちれば父も納得するはず。なになに? 水着姿の写真? に住所、名前、年齢に身長・体重を書いて送ればいいのね。そうすれば不採用の通知が来て、それを水戸黄門の印籠のように父の前に差し出せばいいの! それで父もあきらめてくれるはずだ。
kaoに頼んだ。「こうこうしかじか、で写真を撮るからkao、カメラで撮ってよ!」「わかった! 面白そうじゃん。ところで、女子プロレスラーの平均体重って何キロなの?」「確か64キロかそれ以上だったように思う」「だったら、水着の下にバスタオル巻いて、体重も64キロって書いて出すのよ。じゃないと受からないでしょ?」「・・・別に受からなくても・・・」「ダメよ。どうせ受けるんなら受からないと。やるかやらないかは受かってから考えればいいんだから。さぁ! バスタオル巻いて!」
私はkaoに言われたとおり、バスタオルを巻いて、カメラの前に立って、笑顔を作った。するとカメラマンはこう言った。「ダメダメ、もっと強そうにカメラを睨まなきゃ! そんなヘラヘラした顔じゃ受からないわよ!」だから・・・別に受からなくったっていいんだってば・・・と思ったけど、kaoが怖いので私は「オラオラ!! その勝負、買った! 買った! かかってきやがれ!」的オーラーを出し、カメラに向かった。そして、自分の体重を10キロ以上さばよんで書類を出した。ちなみに自分の体重を常にさばよんでいる私だけど、多くさばよんだのは、この時が人生で最初で最後である。
数週間後。「ゆか! ジャパンスポーツプロモーションから手紙が来たよーーー!」kaoが息を切らせて青い封筒を持ってきた。kaoは興奮していたが、私は冷静だった。どうせ受かってない。というか受かるはずはないし、受かってくれちゃ困るんだから! 冷静に手紙を開けると、2枚の封書が入っていた。1枚を開いて見た。
「このたび、ジャパン女子プロレス第一期オーデションに御応募、有がとうございました。厳密な審査の結果、あなたは第一次審査に合格・・・・・・・」
「すごいじゃん! yuka! 合格したじゃん! 合格! ビューティビューティー♪ ビューティペア〜♪ すごい!」kaoは興奮していた。なんで? なんで? なんでよーーーーーーー?(;_;)
続き「合格しました。おめでとうございました。ついては、第二次実技及び面接審査をカキのとおり行います。同封のアンケート用紙に答えを書いたものと、審査料\3000を現金書留で郵送し下さい」
「さぁさぁアンケート早く書いて。お金も振り込みなさいよね」そう言うとkaoは受話器を取り、国際電話をし始めた。「もしもし、パパ、ゆかね、ゆか、女子プロレスのオーデションに受かったよ! 受かった! えーーっとオーデションは3月3日。うんうん、良かったよね、すごいよね。パパ、やったじゃん!」
ヒェーーー早くも父に話してくれてるじゃないの! 電話を代わると父は興奮していた。電話だから見えないけど、多分顔は紅潮し、肩は喜びで振え、もしかしたら涙ぐんでいたかもしれない。「ゆか、頑張れ。パパは会社への辞表を用意して、お前のマネージャーとしての第二の人生にすべてを掛けるかけるからな!」「・・・・でも、持参品ってのに、アップシューズって書いてあるんだけど、私持ってないし・・・」「なぁに、それはスニーカーでもいいんだよ。なんだったら新しいのを買いなさい。お金下ろしていいぞう♪」
そして、オーデションの日。私はどうしたかって?
3月3日夜。父からの電話。「ど、どうだった?」「・・・・ごめん、行かなかった・・・」「な、なん、なんてことを! どうして行かなかったんだ! どうして?」「・・・・・・だって、だって私、痛いのいやだもん・・・・・」ツーツーツー・・・・・。そこで電話は切れた。
この時受け取った書類はベットの下の封印された過去箱の中に野村義男のブロマイド(取っといてるじゃん)と一緒に収められている。今回これを書くに当たって実に何十年ぶりに出してみたが、アンケート、私一応書いていたのですね。
Q:どんなレスラーになりたいのですか?
A:反則をしない強いレスラーになりたいです (典型的な答えね)( ̄o ̄)d
Q:レスラーになるためどんな努力をしてきましたか?
A:よく食べ、身体を作ってきたことです。 (レスラーになるならないは別にして、これは事実ね)(^ー^;
Q:ボーイフレンドはいますか?
A:NO (残念ながらこれも真実)(-_-;)
Q:あなたの生甲斐はなんですか?
A:将来、女子プロレスラーになることです (本当か?)( ̄□ ̄;)
ありきたりの質問が続き、そしてこんな質問が。
Q:どうしてレスラーになりたいのですか?
A:幼い頃からの私の夢であり、また父が私に物心がついた頃から女子プロレスラーになれと言って応援してきたからです
だから、浜口選手! 応援してるわ! 頑張れ! 浜口! 頑張れ! 日本!
余談:その後、ジャパンスポーツプロモーションの一期生として華々しくデビューした選手に、キューティ鈴木がいた。もし受けて受かっていたら、私も今頃脱いでいる? えっ? 大丈夫? ヌードのお誘いなんてこないからって?
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