お茶と中国茶葉専門 お茶っぱロゴ 2004年10月1日更新
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渇茶的時間 一緒にお茶を

歩いているとキンモクセイ(桂花)の香りに
思わず歩調をゆるめてしまうこの季節。
鼻の穴を大っ広げ、その香りに酔いしれたくなるものです。
この匂いを嗅ぐと思い出す私たち姉妹の巨人戦。

 その昔、kaoと私がまだ小学生だった頃、2人とも野球にハマっていた時期があった。なんでハマっていたかって? 皆さんは水島新司の「野球狂の詩」というマンガをご存知? そのマンガの主人公・水原勇気。彼女は高校生のピッチャーで、とても可愛くてカッコよかったんですよーーーー。

あるドラフト指名会議の時、東京メッツという球団が彼女を指名するんですね。「水原勇気誰じゃ?」ってなるわけですよ。まったくの無名の選手だから。ところが、後日水原勇気の練習を見に行った報道陣、他野球関係者は驚くわけです。美人華奢、野球とは程遠いルックスの彼女のずば抜けた投球を! (ちなみに水原勇気の所属していた東京メッツってここ国分寺にあったんですよねーーーと言っても実際にはないんだけど)初の女性プロ野球選手となった水原勇気の活躍に私たち姉妹は目を輝かせていた。「絶対! ぜーーったい、自分たちも水原勇気になるんだ!」 と。

野球狂となったkaoと私は、まずクリスマスプレゼントに親からグローブを買ってもらった。kaoは青で、私は赤のグローブだった。練馬の田舎に住んでいたから、家の周りにはキャッチボールをする場所は多く(そんな時代だったのかも?)日夜練習に励んでいた。自分で言うのもなんだ、私はかなりの速球を投げることができたし、コントロールも良かった。休みの日に父を相手にキャッチボールをすると、私の速球は父のグローブの中でビッシッ! とすごい音を立てて止まり、目には見えないがマンガで描くところの煙が上がっているようだった。(よく言う)その音に酔いしれ、もっと速い球をもっと速い球をと練習に明け暮れていた。


学校では、「くれはしジャイアンツ」という男子が作ったチームに女子2人だけ入れてもらった。私と田口という苗字からタグチョと呼ばれていた女の子だ。タグチョのお兄さんは中学生で、地元の中学生の番長的存在で皆から恐れられていた。タグチョは、そんな強い兄から日頃鍛えられているからか、男勝りで運動神経も良く、勿論野球もうまかった。

私たちは毎日学校近くの「くれはし公園」の横の空き地で野球の練習をしていた。ランドセルを玄関に放り投げたら、自転車のカゴにグローブとボールを入れて、くれはし公園まで全速力で自転車を飛ばした。遅れてはならないという気持ちで立ち漕ぎ状態で左右に激しく揺れながら自転車を漕ぎ、くれはし公園まで続く坂を必死に駆け上がっていたよなぁ。もはや今の私には電動自転車であっても出来ない芸当であろう。

これまた自分でいうのもなんだが、くれはしジャイアンツで私はかなりの主要メンバーであった。なにせガタイが大きかった=デブだったからバットにボールが当たれば、球は勢い良く伸び、ホームランーーーー!! なんてことも多く、ゴジラ・MASUIと呼ばれていた。(これは嘘だけど)

近所のチームとの試合なんかでは、私がバッターボックスに入れば、相手のチームがピッチャーマウンドに集まり、ヒソヒソ作戦会議をしているのが快感だった。
あのデブな女には気をつけろ! なんたって、あーデブじゃデッドボール命中率も大きいしよぉ」なんて言っていたかは露知らず、「ふふん、どんなに話し合ったって、ホームランは頂きよ!」と星飛馬さながらの炎を瞳に浮かべ、ブルンブルンと巨漢を生かしたダイナミックな素振りをして見せ、相手を慄かしていた。(余りの凄まじさに怯えていた?)そして、やっぱり出たよのホームランを放ち、マウンドをバンザイポーズで駆け回る私だった。

ところが、守備になると私は途端暗くなった。私は水原勇気のつもりなのに、ピッチャーは白畠君というお尻がぷりんとした足の長い男の子。で、私はというと、その身体を生かし?、悲しいかなキャッチャーだった。守備に回ると、いつも決まって白畠君が自分のミットを私に当然のように投げてよこす。私はそれを両手で受け止めながら「なんで、こんなムッチリしたミットなんだよぉ。私は白畠、あんたの今上がっているマウンドに上がりたいんだよぉ」と悲しい気持ちになっていた。私がいるのはドカベンというマンガの主人公デブな山田太郎のポジションでしょ? 私がなりたいのは、野球狂の詩の美人な水原勇気なんだよーーー。しかし、いざ構えると、私は先天的なズル賢っこさで、白畠君が投げる球をサッとストライクゾーンに収める天才キャッチャーだった。相手は子供だ。サッとミットを動かし、「よしゃー」なんて呟けば、ちびっこアンパイアーは「ストライク!」と判断してくれちゃうわけだ。またデブゆえの広い背中でミットが死角になっていたのかもしれない・・・。白畠君と私はくれはしジャイアンツの名コンビと言われていた。

小学校5年生になったら、クラブ活動が始まる。私は絶対に野球部に入ろうと決めていた。そして、高校まで続けるんだ。そうしたら、きっとドラフト会議で水原勇気のように球団から指名され、女性初のプロ野球選手になるんだ。王さん、待っててください。と、そんな時だ、家族の台湾行きが決まったのは。

台湾。住んだところは日本でいう銀座のど真ん中! 空き地どころかホテル、ブティック、クラブ(言わなくてもおわかりでしょうが、野球などのクラブ活動のクラブではない)がひしめき合い、とてもキャッチボールができる環境ではなかった。また、通うことになった日本人学校は遠く、近所に友達は誰1人として住んでいなかった。野球選手は1に練習、2に練習ではないか! 私は水原勇気の夢をこのとき、キッパリと捨てたのだ。あら余りにもあっさりと諦めたものね。いや時同じくして、色気づいてきた私は汗、根性の野球から、芸能界への憧れが強くなり、アイドル歌手になりたいなんて夢を抱くようになった。体依然ドカベンのままなのに・・・。

しかし、何事にも飽きず、コツコツ努力を続けていくkaoは、まだ野球狂の詩をあきらめてなかかった。まだ日本の本屋がなかった当時の台湾で1ヶ月に1冊だけ業者に本を届けてもらう定期購読も、私は芸能雑誌「平凡」を選んだのに対し、kaoは渋く「月刊・ジャイアンツ」を購読してた。そして、月刊・ジャイアンツの広告にあった「重りのついたドレーニングシューズ」が欲しいと母や父に、その広告を見せて毎日交渉していた。確か片足1.5キロほどの重りが内蔵されているシューズで、履いて歩いているだけで、足腰が鍛えられるという宣伝文句だった。1万円くらいしたように思う。
「お願い、これ買って! クリスマスでも誕生日にでもいいから」
「こんなシューズをどうして欲しいんだ?」
「身体を鍛えたいの! これは履いているだけで、グングン足腰が強くなるって書いてあるもん!」
「実用的でないこんなスニーカー買って、いつ履くつもりなんだ?」
「毎日学校に履いていく!」
「・・・・・・・・・・・・」

滅多に親にねだることのないkaoがこんなに親にねだっているのは初めてのことだった。しかし、結局実用的でないという理由で買ってもらえなかった。

当時、そんな娯楽のない台湾での唯一の楽しみは週末のボーリングだった。よく家族で週末外食したその帰りにボーリングにふらっと出かけたものだ。今はコンピューターですべて自動でスコアが付けられるが、昔は自分たちでスコアを記入していかなければいけなかった。こんな時代があったんですよ〜。でも、台湾はスコアをつけてくれる専門の小姐(おねえさん)がいて、投げれば的確にスコアをつけてくれる。「えーーっとストライク、ストライク、スペア・・・だと、どうなるんだっけ?」と考えなくても、ちゃんとベテランの小姐がササッとつけてくれる。ストライクが出たら、小姐も拍手してくれるし、ガーターが出れば、励ましてくれるし、実に良いサービスだった。

ここでもkaoは野球狂だった。普通、ボーリングは、中指と薬指と親指をボールの穴に入れ投げるものだが、kaoは人差し指と中指と親指を使って投げていた。父が再三「kao、指が違うよ」と言っても、聞く耳を持たず、ゴーイングマイウェイ、人差し指と中指で投げ込んでいた。kaoなりの理由があった。水原勇気がドリームボールという変化球を編み出し、練習したのが、ボーリングで彼女は人差し指と中指でボーリングを投げることによって、ドリームボールを完成させたのだった。恐るべし、kao。台湾に来てもなお水原勇気の夢をあきらめていないのか! ちょっと彼女の情熱に嫉妬する私だった。

ある日、kaoと姉妹喧嘩になり、何が原因だったかは不明だったが、多分飽きっぽい私の性格をkaoが非難したことで、私の喧嘩魂に火が点いた。kaoをこてんぱに打ちのめしたい! kaoの奴をボロボロのズタズタにして、高笑いして復讐としよう! そう心に決めた。kaoをボロボロのズタズタにするには何がいいか! ない知恵を絞って考え・・・そうだ! 私はすぐに机に向い、便箋を取り出した。

王選手へ

私は王選手の大ファンです。王選手の756号のホームランも球場に見に行きました。(本当は754号を見に行ったんだけど)
感動しました。私は今王さんの縁の地、台湾に来ています。父の仕事の関係でです。
私は野球が大好きで得意です。キャッチャーで、ホームランもよく打ちます。
王選手、どうかどうかお返事を下さい。
私の一生のお願いです。
これからも頑張ってください。
                              ゆかり  」

何とも幼稚な内容だが、一刻も早く投函し、王選手から返事をもらいたい一心だった。赤と青の目立つエアメール用の封筒に入れ、ポストに投函した。王さん、絶対に返事を下さい! と願いながら。
みてらっしゃい! 王さんからのエアメールを手にkaoの目の前でチラッチラッとその手紙を振りかざすの・・・フフフ・・・。何よって顔をしながら、差出人の名前を見たら、kaoどんな顔をするだろう・・・ヒヒヒ・・・。そしたら、封筒を仰々しく開けて、大きな声で読んでやるわ! そのときのkaoの悔しそうな顔・・・・ハハハ・・・・・。

その日から私は毎日毎日、学校から帰ると自宅の郵便受けを急いで見るのが日課となった。その度に落胆するんだけど・・・。今日も来ていない・・・まだ来ていない・・・ため息は日に日に大きくなっていった。私の思い過ごしか、私の横でkaoも郵便受けが非常に気になるような素振りだった。まさか、あの王選手に出した手紙をkaoに見られたのか? いや、見られてるはずはない。しかし、kaoも私と同じように郵便受けを気にして、ため息をついているのは明らかで・・・??????

結局、王選手からはいつまで待っても返事は来なかった。姉妹喧嘩もなかったように、また姉妹楽しく会話する日々が訪れた。私は少し恥ずかしかったけど、王選手に手紙を出したことをkaoに告げた。
するとkaoは私以上に顔を赤らめ、こんなことを言い出した。

「実は・・・・私もyukaに内緒で長嶋監督に手紙を出したんだ」
えぇ!! どーりであなたも郵便受けを気にしていたわけね。
「で、何て書いたのよ」

「う・・・・・ん、私はね、あんたに参りましたの白旗を揚げさせるためには・・・って」
「だから?」
「どうかジャイアンツに入れてください! 頑張りますので、選手にして下さいって・・・」

蚊のなくような声をそう言った。恐るべし、kao。白旗どころか、思わずその場で、負け犬の如く仰向けになって降伏のポーズをしてしまった私。
                             

子供の頃、くれはし公園での練習が終わって、夕焼け空の下、雁が行ったり来たり飛び交う空を見上げ、「また明日ねーーー」と自転車に飛び乗った。するとこの季節、公園の周りに植えられたキンモクセイの花の香りが、少し疲れた身体を包み込むように心地よかった。今でもキンモクセイの香りを感じると、水原勇気に憧れたあの頃を思い出す。そして、kaoのなんとも大胆な策略も・・・。

注釈   桂花烏龍茶
水原勇気です
あこがれ
夢
どーして?
バトル
くやし〜
グッドアイディア
どきどき
ふっふっふっ
現実は
告白
負けた

今月もお読みいただきありがとうございます。はずかしながらこれ実話です。私は長嶋監督に「選手寮の掃除係もやりますので入団させてください」と書きました。そりゃ〜掃除のオバサンとしては雇ってくれるかもしれないけど、入団とはねぇ。子供だったからとはいえはずかし〜!!kao

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