その先輩はKといい、日本人離れした顔立ちに、これでもか級のすごい化粧の女性だった。目の周りは真っ青で、髪は茶髪。想像して頂くには、ベッキーを憎憎しくして野村サッチー並の化粧を施した感じと言えばかなり近い。ねぇ、これだけでも怖いでしょ? 正直彼女の顔を私は正視できたことはなかった。
まずKは毎回、手を組んで、足のつま先から頭のてっぺんまで0.00000コンマの速さで眺め回し、「ふん」と鼻で人を馬鹿にし、それから文句を始めるのだ。何の文句があるかはそれは彼女のその日の気分。人のマニキュアがちょっと剥げてたら
「あんた! そんな手で乗務する気?! えぇ!!」
となり、逆にとても綺麗に塗られていたら
「あんた、そんな綺麗な爪して、仕事もロクにしてない証拠よ! えぇ!!」
とにかくKは文句を言うためにこの世に生を受けた人だった。毎月スケジュールが発表になると、彼女とどうか同じフライトがありませんようにと祈りながらスケジュールを見た。そして、私の同期たちは彼女との同じフライトがついた者を「今月の生贄」と呼び、出きり限りのお悔やみとこれ以上ない程の尊敬の念を持って称えた。「今月の生贄」は、いつもスケジュールを見なくてもわかった。日に日にげっそりとしてくるから、そのげっそり具合によって「あぁ彼女もそろそろ生贄として送りこまれる時期なんだな・・・」と悟るのだった。Kと同じフライトという前の晩、胃痙攣を起こして救急車で運ばれた生贄を私は何人も知ってる。
そして、ついに恐れていたことが起った。某月のLA便。私は生贄としてKにこの身を捧げることになったのだ。
kaoが留学しているLA。(会えないじゃんよーーー)
フライト時間が短くはないLA便。(あの密室でどんな過酷な運命が待っているのか)
2泊ステイがあるLA。(LAでどーすりゃいいんだ?)
まして、早く終わってくれればいいものを、なぜ月末?(長い長い1ヶ月だよーーーー)
恐らくいや絶対私の今までの人生で一番長く感じる1ヶ月だったと思う。前の晩、私は夕飯も食べられなかった。緊張で戻しそうになった。溜息と鼻息の余りの凄さにカーテンがゆらゆら〜と揺れていた。
ほとんど眠れないまま朝を迎えた。いつもより2時間も早めに目覚まし時計をセットした。だって、成田のロッカー室、私のロッカーはKのロッカーより奥にある。Kは意地悪をするために生まれてきたような人だから、後輩が自分より奥のロッカーだとわかるといつもより早めに来て、その狭いロッカー室の通路に自分の荷物をドーンと広げるのだ。となると、後輩である私はまさか先輩の荷物を跨いでは通れず、Kがわざとゆっくり支度をしている間、ロッカーには入れず待っていなければならなくなる。で、本当に憎たらしいことにKはゲートに行かないといけないギリギリの時間まで出てこようとしない。そして出てきて何と言う?
「あら、あんた! まだ着替えてもいなかったの! 何してんの! 飛行機行っちゃうわよ!」と怒鳴るのだ。だから、私はいつもの時間より2時間は早くロッカー室に行かないと着替えられない。意地悪Kだって、意地悪を見込んで1時間早くやってくるのだから! 勘弁してよ。ロングフライトで2時間も早く空港に行くって結構辛いんだけど・・・仕方ない、相手はKだもん。
成田に着くと、よかった・・・まだKは来ていなかった。私は即行着替え、ソファのある待機室に行き、Kを待った。廊下で足音が近づいて来るたび、ビビリ上がり、席を立ち、あのドアの向こうからKが現れることを予測し、最敬礼の準備した。コロンコロンコロン・・・。カートの超スピードの音が廊下に響いた。あぁこれはKではない。すぐにわかる。ソウルから到着した同期だろう。ロッカーでKに会いたくないから、いつもならゆっくり事務所に戻り、お互いに情報交換なんかして楽しいひと時を過ごすんだけど、超スピードで事務所に戻り、ロッカーで素早く着替え、
「ごめん、ゆかりん、許して〜。私、急ぐから〜」と足から煙を出して、帰てしまった。また会うか会わないか微妙な時間に成田に到着した同期は、早く着替えて家に帰りたいだろうに、成田空港をぐるんぐん練り歩き散歩して時間を潰し、Kが事務所を出る時間を見計らって戻ってくるのだった。とにかく皆Kには会いたくないのだ。もうとっくに成田に着いただろう便に乗ってる同期は今頃どこをお散歩中だろうか・・・。「私がいるの知っててさ、ひどいよ」と泣きたくなるけど、私もいつもしていること、非情なんて文句は言えない。
JAWSが現れる時のテーマソングを鳴り響かせ、Kはやってきた。すかさず最敬礼。でもって「先輩、本日はどうぞ宜しくお願いいたします」の挨拶だ。しかし、Kはこう言った。
「あんた、たったそれだけ?」
えっ? 来たよ。来た。文句を言ってないと気がすまないんだから。でも、Kを前に私は早くも小刻みに震え出している。 黙っている私にKは
「馬鹿じゃないの。まぁいいわ! それにしてもあんたパディウム取って来たの?」
パディウムとは、現地での食事代等の手当てで、当時はソウルで貰っていた。LA便のパディウムはLAに行く前に貰ってきてもいいし、次にソウルに行ったときに貰っても構わなかった。
「いいえ、今回は頂いてきませんでした」 と言うと、Kは
「私があんたの分も貰ってきてやったわよ!」と言った。えっ?(だったら聞くなよ)何でまた? Kはバッグからドル紙幣を数枚取り出して私に見せた。そして「どうぞ」と私に差し出した。Kも優しいところあるんじゃない・・・。受け取ろうとしたその時だった。Kを一瞬でも優しいと思った私が馬鹿だった。Kはその紙幣を私の手にではなく、私の頭に降らせたのだ。
お分かりだろうか? そうだ、私の頭に紙幣をばら撒いたのだ。勿論、紙幣は床に落ち散らばった。呆然とした。どうリアクションしていいのか当時の私のはその対処の仕方がわからなかった。
「なによ! 折角取ってきてあげたのに、要らないの? 手が滑っちゃった。さぁ早く拾いなさいよ」
その口調からKの快楽的な気持ちが読み取れた。私は床に膝まづいて、それらを1枚1枚拾い上げた。みじめだった。Kにお金を恵んでもらっているわけでもないのに、どうしてKは私にこんなことをさせるんだろう・・・下を向いたいたら涙が零れ落ちそうになった。でも、泣いたら何をされるかわからない・・・前に父にKのことを相談したとき、父が教えてくれたおまじない「(心の)育ちが悪い奴には何を言っても無駄!」を心の中で何度も繰り返し、ただ繰り返していた。
フライトはKがビジネスクラスで私がエコノミー。その日ビジネスは空いていて、エコノミーは満席だった。とても嫌な予感。親切心を売るかのように、ビジネスクラスのサービスが終わったらいずれKがエコノミーに現れるだろう。だってここには生贄がいるんだもんね。案の定、Kはエコノミークラスが食後のティーサービスをしている頃、私たちのギャレーにやってきた。
「まだ終わってないの〜!! 仕方ないわね。手伝うわ」
手伝ってくれなくたったいい・・・。あんたがいないほうが、すべてが順調に回るんだから・・・。でも、怖くて断ることなんかできない。
散々クズだ、のろまだ、気が利かないと怒られ、やっとサービスがひと段落した。するとKは「あー疲れた!」と言って自分の縄張り・ビジネスクラスに戻って行った。疲れた〜。
ほっとする間もなくKはまたエコノミークラスに戻ってきた。「お疲れ〜」ニコニコしていた。
「お疲れ様でございます!」
「私、家からおせんべいを持ってきたのよ〜食べる〜?」
見たことのない笑顔と共にKは、草加せんべいの入った袋を差し出した。そして、その時ギャレーにいた韓国人乗務員4人に1枚ずつ手渡した。皆おせんべいを受け取り、
「カムサハムニダ」と喜んでいた。Kもいいところあるじゃん。今まで一緒に飛んだことがなかったから知らなかったけど、Kにも優しいところがあるんじゃない。私の番がきた。失礼があってはいけない。「はい」とKが差し出したせんべいを、まるで卒業証書を受け取るかのように、両手を差し出し、手に取り、頭を下げた。するとKは言った。
「あぁ〜楽しい♪ 猿に餌あげるって楽しいわね〜♪」
そしてそのままギャレーから去って行った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
韓国人乗務員たちは、楽しそうにおしゃべりをしながら、Kからもらったおせんべいを食べている。あなたたち、日本語がわからなくて正解よ・・・。日本語がわかったら、そんなおせんべいとてもじゃないけど食べられないわよ! 私はゴミ箱におせんべいを投げ捨て、泣いたらあかん! 泣いたらあかん! と「(心の)育ちが悪い人には何を言っても無駄!」の呪文を唱えていた。何度も何度も。 |